ワット・ウモンの正式名称はWat Umong Thera Jan と呼ばれますが、チェンマイ大学近くの有名な瞑想寺院・森林寺院です。ここにはイサーンに点在するワット・パーと同様に外国人の修行僧が多いことでも有名ですね。著名な外国人僧Ajahn Thiradhammo(Ian Adams) もAjahn Chahに師事する前にこのWat U-Mong forest monastery で修行しています。さて、そのワット・ウモンですが、史実が混沌として未だによく分かっていないところがあるようです。 パームリーフに著された著者不明の原稿「Banha Thera Jan(Jan 僧の問題)」のコピーが現存しているのですが、それは寺の歴史でも、Jan僧の伝記でもなく、まして年代記になっているものでもないようなのです。このお寺の名前の由来になったそのJan僧はドイ・ステープ近くの村で生まれ17歳の時に修行のためにチェンマイに上京したようです。仏陀の遺物がワット・スワン・ドークからドイ・ステープに移されてから7年後(1380年から1385年頃)、20歳の年に彼はドイステープに入ったようです。そのドイステープで彼は悟りを得るために昼夜を問わずに修行に励みました。そんなある日、彼は非常に美しい女神に遭遇するのです。女神は彼に問います。ここで何をしているのか? もし修行の結果に悟りを得てもまだ僧として修行を続けるのか? 彼はいいえ、と答えたところ、女神は悟りに至る英知の食べ物を彼に与えようと手を差し出しました。そのとき、彼の手と女神の手が一瞬触れあってしまったのです。僧侶が女人に触れることは御法度です。女神は彼に告げます。そなたは将来必ずやメンタル的なトラブルを抱えることになるであろうと。 その後彼は村に帰り悟りを得てたいへん有名な僧侶となり国中の尊敬を集めました。しかし、女神の予言どおり、彼は自分の行為がわからなくなり落ち着きを失い、森の中に姿を消してしまったのです。 そんな彼の行いを見かねた時のチェンマイ王 Ku Na が彼のために森の中に建てたのがこのWat Umong の謂われだと信じられています。しかしこのテキストを丁寧に読解していくとどうやらWat Umongというお寺が二つあることがわかるらしいです。もし二つのWat Umongがあったと仮定すればこのお寺の伝説と考古学上の発見物とに整合性が生まれうまく説明することができるといわれているますが、かなり専門的なことになってしまうので割愛します。何れにしてもこのワット・ウモンは長い間廃寺になっていたらしく、チェディの下に造られたこの洞窟寺院も発見された時にはすっかり埋もれていたようです。そのため洞窟内を飾っていた壁画もほとんど失われてしまっています。
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